滋野神社

(東御市新張と海善寺)

 東御市には、滋野の名を冠する神社が2社あります。


 『滋野』の名は、奈良時代に信濃の国の長官となった滋野姓に由来します。

 

 そんな名前が付いた神社には、どんな由来があるのか、興味をもったので、調べてみました。


東御市新張の滋野神社

滋野神社(新張)の鳥居
滋野神社(新張)の鳥居

御祭神:建御名方命,事代主命


創建年:不明.ただし、口伝により、大同年間(806~810年)と伝わる

 

創建者:これも、口伝により滋野良成と伝わる

 

旧社格:郷社

 

住所:長野県東御市新張310

 

祭日: 9月28日

滋野神社(新張)の拝殿
滋野神社(新張)の拝殿

 『新張』という地名は『みはり』と読みます。

 

 古来、新張牧(にいはりまき)という官牧があり、『にいはり』が訛り、『みはり』になったとか、見張りをしていたので、『みはり』になったとか言われています。

 

 そして、この官牧の役人であった滋野良成により創建されたと言われています。 

諏訪の御神紋
諏訪の御神紋

 御祭神を見ると、詳しい人だと、すぐに気付くと思いますが、諏訪大社の神様とその父神様が祭られています。

 

 そして、左の写真を見ると、本殿の瓦に諏訪の御神紋・梶の葉があります。

 

 実は当初の神社名は諏訪神社でした。

 

 そして、1880(明治13)年に滋野神社に改称したのです。

 

滋野神社(新張)の本殿
滋野神社(新張)の本殿

東御市海善寺の滋野神社

滋野神社(海善寺)の杜
滋野神社(海善寺)の杜

御祭神:応神天皇,神功皇后,姫大神


創建年・創建者:不明

 

再建年:天延年間(974~976)

再建者:海野幸恒

 

旧社格:村社


住所:長野県東御市海善寺1045

 

祭日: 4月15日 他

滋野神社(海善寺)の第一の鳥居
滋野神社(海善寺)の第一の鳥居

 海善寺には、昔、真言宗の『海善寺』というお寺がありました。

 

 海善寺は海野氏の祈願所であり、海野氏と縁の深い寺院でした。


 1583年に海野氏の支族である真田昌幸により、上田城の鬼門に移転し、1622年の移封で長野市松代町に移転します。

 

 東御市には海善寺は残っていませんが、上田には『海禅寺』が残り、松代には『開善寺』があります。

滋野神社(海善寺)の拝殿
滋野神社(海善寺)の拝殿

 さて、神社の話に戻します。

 

 この神社は元々はこの地の産土の神を祭っていましたが、滋野氏が自身の産土の神であった『八幡神』を勧請しました。

 

 この事から、元の神社名は八幡社でした。

 

 その後、滋野氏を継承する海野幸恒が再建したと伝わります。


滋野神社に集められた祠
滋野神社に集められた祠

 1583年に真田昌幸により上田に移転します。

 

 これは今でも上田城の北側に八幡宮があります。

 

 1880(明治13)年に滋野神社に改称します。

 

 1908(明治41)年に海善寺各地にあった祠は滋野神社で合祀され、現在の形になりました。

滋野神社(海善寺)の本殿
滋野神社(海善寺)の本殿

 まとめとして、

 

 二つの滋野神社は、名前こそ同じですが、特に何の関連性もありません。

 両方ともに明治時代に入り、神社の統合を経て、滋野という、古代から戦国時代にかけてこの一帯を支配した豪族にあやかりつけたのかと思われます。

 また、新張にしても、海善寺にしても滋野姓となんらかの関係があるので、そう付けたのでしょうか。 

 

参考:東部町史・歴史編・民俗編・社会編

    和史,海善寺史,祢津史(各地区にて編纂)

    海野史研究会HP


2つの滋野神社の位置


2015年2月18日 花岡武彦 執筆